山利喜の歴史

下町、森下で愛されて九十余年

 初代、山田利喜造が深川区(現在の江東区)森下に店を構えたのは関東大震災の復興間もない大正14年。店は大変繁盛していたそうです。しか し、昭和20年3月10日の東京大空襲で店は消失、利喜造も命を落としてしまうことに。焼け跡には、何も残りませんでした。  

  戦火から生き延びた利喜造の長男、山田要一(1925~2011)が戦後のバラックから店を再開。調理人ではない要一が看板メニューとしたのが「煮込み」と「やきと ん」でした。肉が貴重な当時、肉体労働者が多かった森下で人気を博すことになり、昭和33年には念願の店舗が当時の都電森下停車場のすぐ目の前に 完成。妻山田とりみ(1924~2003)と多くの方々に支えられて発展を続けました。  

 要一の長男で現在の三代目主人、山田廣久は服部栄養専門学校を卒業後、フランス料理の道に進んだが、父、要一の体調不良を機に山利喜を継ぐこと を決意。既存の「煮込み」「やきとん」に加えフランス料理の要素を盛り込んだメニューを次々開発。人気が人気を呼び、カウンターだけの席がカウン ター+テーブル席へ、さらに2階部分まで店舗に改装。多くのお客様の期待にこたえるべく、日韓ワールドカップで日本中が湧いた2002年には森下 1丁目に3階建ての「山利喜新館」がオープン、それまでの店舗は「山利喜本館」として変わらず森下の交差点で赤提灯を灯し続けました。

 2008年、建物の老朽化のため本館を改築、翌2009年11月に地上5階、地下1階(3階より上は住居)の「新」山利喜本館が完成し、営業を再開。更なる 発展を目指し店主、従業員一同励んでおります。